そもそもイライラしないようにしたい

メンタル改善

評価することをやめれば、そもそもイライラしない

イライラする(怒り)の原因は、何かしら自分が「被害」を受けたと感じたからでした。予定が狂った、心が傷ついた、と感じると怒りが起きます。

なので、そもそも自分は本当に被害者なのかを考え直してみると、無駄に怒らずにすみます。つまり、被害者でない人は、怒りを感じないわけです。

こう考えると、私たちは他人を怒らせることができず、せいぜい怒りのきっかけを与えるくらいしかできないと気づくことができます。

それでは、なぜ何かあったときに自分は怒りを感じるのでしょうか?それは、何かきっかけがあり、その状況を被害だと自分で評価しているからなんです。

つまり、状況のとらえ方で、怒りは変わるのですね。反射的な怒りを感じることは仕方ないにしても、その後どういう受け取り方をするかは自分で選ぶことができます。

例)①予定をキャンセルされた②二人で会っているのにスマホを長時間触っている

という例を考えてみます。こういった状況だと「自分が粗末にあつかわれている」と被害の評価をしたら、怒りが湧いてきます。でも、本当にその評価は正しいのでしょうか?別のとらえ方がないか考えてみるだけでも、必ずしも正しいと言えないことがわかるでしょう。

  • 何か他に重要で優先すべきことがあり、粗末にするつもりはなかった
  • 自分が自由にしてもいいと考えているように、相手もそうすればいいと考えているだけ
  • 自己コントロール能力が低い

上記のような考え方もできます。実際のところ、何が本当かなどわかりません。それなのに、「自分が粗末にあつかわれている」と思い込んでしまったら、それはわざわざ自分で自分を傷つけていることにほかならないのです。

傷つけているのは実は自分だった

怒りを感じているとき、被害にあって「相手が悪い!」「相手のせいだ!」と相手に意識が移っているのですが、実は、状況を被害だと思い込んで自分で自分を傷つけているのですね。

もちろん、明らかに自分が被害者だろ!ってとき(青信号で渡ったのに、車にはねられたとき。人違いで殴られたとき)はあるでしょうけども、必要以上にイライラしないためだと思って、聞いてください。

言いたいことは、相手を許してあげよう!ということではなく、自分を傷つけない選択をしよう!ってことなんです。

ただ、本当に大切なものを奪われたら、許さず、しかるべき方法で取り返してください。不当なことをされたら、どれだけ嫌な気持ちになったか相手に伝えてください。しかし、そういうわけでないなら、不要に怒らず、自分を傷つけない選択をしましょう。

自分の状況に対する評価を確信しない

自分の状況に対する評価は、自分が勝手につくったストーリーに過ぎないことは上記で、ご理解いただけたと思います。なので、そもそも、そのストーリーを正しいものだとは限らないと思えたら、怒りが生じにくいでしょう。自分がつくったストーリーは数あるストーリーの中のほんの一つにすぎません。

では、自分でつくった被害ストーリーを手放すにはどうすればいいか考えてみます。

ただ、そのストーリーを確信しないだけで大丈夫です!そのために、自分が被害にあったと思うたびに、「そう断言できるほどの証拠がそろっているだろうか?」と考える習慣を身につけておきましょう。流れは下記の通りです。

  1. そう断言できるほどの証拠がそろっているだろうか?
  2. そろえた証拠から、本当にそうだと決断できるだろうか?
  3. 違う可能性を考えることができないだろうか?考えることできるなら、それは何か?

このステップを踏むと、だいたいのことは疑わしく思えるはずです。結果として、怒らずにすむわけですね。

他人の事情をすべて知ることは不可能

なぜ、自分のストーリーに確信できないかと言うと、他人の事情をすべて知ることなど不可能だからです。他人の事情はすべて相手の領域の話ですから、何かを断言することはできません。必ず、私が知らない何かしらの事情がある可能性が残るわけです。この可能性をうまく利用することで、怒りをコントロールできるのですね。そして、怒りを保留できるようになって、怒らない人になるのです。

証拠が固まってから怒る!と決めたら、固まることが永遠に来ないので、怒りません。そもそも機会がなくなるんですね。

正しさにこだわらない

「いやいや、それでも、そういうわけにはいかんのだ!」と思う人もいるでしょう。もしかしたら、そういう人は、正しさにこだわっている人かもしれません。

怒りを手放すために、「正しい」「間違っている」という評価について考えてみます。

人には、自分なりの正義があります。それぞれの立場や置かれた環境によって、何が正しい・間違ってるというのは違います。個人個人の事情を反映しているため、そうなるわけです。

正しさが人によって違うので、「正しさ」を主張しても相手を論破できないんですね。これにはまったく意味がないんです。だって、正しさがそれぞれ違うんですから。つまり、勝利のない戦いです。これを解決するには「どちらが正しいか」から脱する必要があるわけです。

自分の価値観を大切にしたまま、相手には相手の事情があるということを認めましょう。認めたからといって、自分の考えを曲げる必要はありません。どちらが正しいか、正義か、を決めないという姿勢を取るのです。

これは、相手の事情を知ろうと努力する意識をすれば、自然とできます。すると、相手を受け入れることができるのですね。正しさを基準に考えてしまうと、相手を人間として間違っているという強烈な評価を下すこともあります。そんなふうに考えたら、相手も怒って、争いが激化するだけです。

結局のところ、お互いの事情を認め合い妥協点を探す、なければ現状維持でしょう。しかし、前よりはイライラしなくてすむはずです。国によっては、軍事力や経済制裁なんてするほどですから、そう考えると自分はこの程度ですんで良かったと思えるかもしれません。(この考えは気やすめかもしれませんが)

現実的な対処は忘れないでください

相手を受け入れたり、認めたりすることは大切ですが、だからといって相手のひどい行動を多目に見るといことではありませんので、気をつけてください。怒りを手放した上で、現実的な対処をたんたんとやりましょう!

たとえ怒りを手放したとしても、実害をなくせるわけではないからです。被害が自分の思い込みだったら、それに気づけばいいわけですが、思い込みではなく実害があることもあるわけです。そういうときは対処する必要があります。

つまり、自分の気持ちと行動を分けて考えましょうということですね。怒りに対しては、自分の気持ち(考え方)を変えること対処できます。しかし、問題(実害)があれば、対処しなければならないのも事実です。その対処の「行動」をどういう「気持ち(心の姿勢とも言えますね)」で行うかは自分で選べるのです。

例えば、お金を盗まれて訴訟を起こすとします。怒りを手放すことができなければ、訴訟という「行動」に「怒りのエネルギー」が加わってしまうのですね。こんなことをしていては、体力が持ちません。(エネルギーの消耗を考えると自然とわかるでしょう)

怒りを手放して、冷静にたんたんと対処(行動)していくことがたいせつなのですね。「行動」と「気持ち(心の姿勢)」は区別しておきましょう。

そんなふうに区別できるようになると、冷静になりながら相手に「ノー」と言えるようになります。「そちらも大変だと思いますが、こちらも本当に忙しくて大変なんです。すいません。」と断ることができるようになるんです。相手の事情を認めた上で断ってるので、争いも起こりません。断ることができるようにもなり、とても良いですね。

今に集中する

これまでの記事でも述べてきましたが、「今に集中する」というのもイライラしなくてすむ方法です。何かあったら、すぐ行動してそれに集中すると、もはやイライラしません。念のため、この視点も書いておきました。

この記事では「怒り」について書いていますが、「怒り」と「不安」への対処は似ていることが結構あります。相手の事情を考えると、不安も和らぎます。今に集中すると不安も消えていきます。

何かしらのきっかけで、それが「怒り」になるか、「不安」になるか、人それぞれなのでしょうね。おそらく、両方起こっていて、人によって割合が異なるのではないかと思っています。

自分は怒りやすいのか、それとも不安になりやすいのか。また、こういうときは怒り、ああいうときは不安に感じやすいというのもあります。自分の感情の傾向を知っておくと、それだけで感情が安定します。こういったことを記録しておくといいよ、ってのがよく本で書かれていますね。ちょっとした追加でした。それではまた。

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